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Journal-izm Vol.6/2001年9月号

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アルコール依存症、と聞けば、誰もが「ああ、アル中(アルコール中毒)のことだ」と察しがつく。薬物依存症なら、「ヤク中」だ。では「ネットアディクション」ならどうだろう。「ネット依存症」と言い換えれば、何となくイメージが湧く。しかし、「アル中」や「ヤク中」のように、どんなことなのか即座に理解し、イメージできる人は少ない。しかも−−−すでに自分自身が「ネットアディクション」という名の病魔に取り憑かれている現実にさえ、気がついていない場合が多いのではないだろうか。


ケータイ天国からネット天国へ

 ある繁華街の一角で、友人と連れ立って座り込んでいる若者に、「もし、ケータイ(携帯電話)がこの世からなくなっちゃったら、どうする?」と尋ねてみた。「困る」「なくなるはずないじゃん」「えーっ! 生きていけない!」「考えられない。死んじゃうかも!」……。
 「死ぬ」とまでの答えが返ってきた。ヤラセではない。現実だ。これが現代の日本の姿なのである。軽々しく答えているように思えるが、仮に、「明日からケータイは一切使用できない」などという状況になれば、そのことが原因で自殺してしまう若者がいないとは言い切れない。むしろ、社会からの孤立をおそれる、かなりの数の若者が、安易に自殺を選んでしまうのではないかと予測することすらできる。
 若者だけの話でなく、仕事をするうえで、ビジネスマンやその他大勢の大人にとって、もはやケータイは必需品になっている。便利だからだ。だが、大人に比べると、若者にとってケータイとは、道具としての利便性よりも、ケータイを通じて育んでいる一種のコミュニケーションが、欠かすことのできない生活の一部となってしまっている。

 「これが現代日本の姿だ」とはいえ、日本人の習慣や生活洋式はどんどん進化している。その代表格が、インターネットの普及である。
 「何をいまさら」と思われる方もいるだろう。しかし、全国規模・老若男女で考えると、ケータイの普及率に比べれば、まだ、インターネットはさほどでもない。国民のほぼ一人に一台、というわけにはいかない。
 パソコン購入代金はもとより、毎月の接続料がかさむからである。加えて、ブロードバンド(高速回線)の有無などの、地方格差も原因だ。
 しかしその壁も、打ち砕かれようとしている。DSLだ。現在、各社が競い合い、全国津々浦々への施設工事に追われている。料金も、いわゆる「価格破壊」が起こり、だいたい月額5000〜6000円前後での常時接続を目処にPR合戦を行っている。孫さん率いるYAHOO!までもがブロードバンドビジネスに参入した。こちらはなんと月額1000円を切った。
 ブロードバンド利用者数は、現在、約60〜70万人といわれている。民間のリサーチ会社の予測によれば、今年一年で急速に伸び、300万件近くになるという。2005年末には1500人弱とも予想している。ちなみに政府は、「2005年末・4000万世帯」の利用を目標にしている。
 このように、いま、極めて速いスピードで、日本におけるインターネットの常識は、変わろうとしている。誰もが24時間接続できる時代へ突入しようとしている。「次世代インターネット」の幕開けである。


24時間接続は、「底なしの酒樽」

 あくまで情報源&娯楽だとわりきってインターネットを活用している人にとって、安価の24時間接続はありがたい。だが、その内なるところに、大きな落とし穴が待ち受けていることをご存じだろうか。
 24時間接続は、「底なしの酒樽」のようなものである。月額数千円の使用料を払うことで、無限に飲んでいい酒樽を与えられたも同じ。お酒を飲めない体質の方にも、ご理解いただけると思うが、底なしの酒樽を手にした者の中から、多くのアル中(アルコール中毒)患者が生まれることは察しがつく。
 インターネットは、アルコールと同じく、「依存性」をはらんでいる。
 一日に一度でも二度でも、メールチェックしなければ落ち着かない。チャットに参加したり、掲示板に何か書き込まなきゃいられない。自分のHPのカウント数が増えているのを確認しなければ安心して眠ることもできない……。
 国内ではまだ聞き慣れないが、欧米ではすでに、「ネットアディクション(ネット依存症)」というれっきとした病気として、調査や分析が進められている。インターネットの利用は鬱状態、孤立化、中毒症状を引き起こす可能性があるというのが主な見解だ。


そもそもアディクション(依存症)とは?

 アディクションは、「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。ある習慣への脅迫的な執着、と言い替えることができる。
 人間は、生きていくうえで、さまざまなことを習慣づけて生活している。習慣には、結果として生活を心地よくするものと、存在や生命までを危険におとしいれるものとがある。
 何らかの目的のために、ある習慣を好んで取り入れていくうちに、陶酔・快感を覚え、本来の目的を忘れ習慣自体が目的となってしまう。そんな状態を、「アディクション」という。
 例えば−−−極端だが、こういうのはどうだろう。朝一番で歯を磨くときに、クラシック音楽なんかがさりげなく流れていると心地いいんじゃないかと感じたとしよう。そこで、毎朝、洗面台に立つと、脇に準備したラジカセのスイッチを押すようになる。「歯磨きの時にクラシック音楽を聴く」という習慣が生まれる。ところが、その心地よさを知ってしまったことに端を発し、歯磨きのために洗面台に立つのではなく、ただひたすら心地よい気分になりたいために、暇さえあればラジカセのスイッチを入れ歯磨きをするようになる。
 これがアディクションだ。この場合、歯がきれいになるのはよいことだが(!)、問題なのは、本来の目的を見失ってしまうことにある。もはや、クラシックなくして歯磨きができなくなる。習慣自体が目的と化してしまうのだ。
 アルコール、薬物、煙草、ギャンブルだけがあてはまるのではない。「買い物依存症」といわれるクレジットカードの乱用や、セックス、暴力、児童虐待、過食・拒食、食べ物の嗜好、感情(愛情)、仕事、アダルトチャイルドなどなど。
 あらゆるアディクションが、人間を異常な行動に駆り立てていく。


ネットアディクションのタイプ

 ネットアディクションと思われる症状を、タイプ別に列記してみよう。各種書籍、報告などを参考にし、私見を含みつつまとめてみた。いま、このHPを閲覧中のあなた自身、いずれかのタイプに当てはまるはずだ。胸に手を当てて、正直に向き合ってみてほしい。

●「コミュニケーション中毒」タイプ
チャットにのめり込み、掲示板にも絶え間なく自分の発言を投稿するタイプ。このタイプの人は、ネットの匿名性という点に依存していると言っても過言ではない。普段口にしたことのない暴言を吐いてみたり、男なのに女になりすましたり、新しい人格を作り出すことでストレスを解消することが多い。ある一線を越えてしまっていることに気づかず、自分の意見を「これが正論だ」「お前は間違っている」「バカ」「死ね」などと、よく考えもしないで、機関銃のように投稿し続ける。時間と体力を消耗しているだけでなく、人格障害も起こしている危険性が極めて高い。
※サービスごとに「チャット」中毒、「掲示板書き込み」中毒など、個別化することができる。


●「情報中毒」タイプ
とにかく、ネット上に氾濫するすべてを知り尽くしたいと言わんばかりに、自分の知らない情報を、必死に掻き集めていないと気が済まないタイプ。ネット配信のニュースをチェックし、メーリングリストに参加。ホームページのリンクをどこまでも辿り続け、関連情報をむさぼる。自分から情報を発信することはほとんどない。受動的。ニュースやメーリングリストの投稿数は、一日に50から100は軽く越えてしまう。相当な時間と体力を消耗するが、もちろん本人は肩が凝ったな、ぐらいにしか感じていない。他人の言動を知りたがり、非難するばかりで、自分では何もできないようなタイプの人が陥りやすい。どのような物事も、机上ですべてが解決できると思い込む可能性が大きい。
※情報を欲するのとは別に、ただ閲覧しているだけで心地よさを感じる「ネットサーフィン」中毒、「掲示板閲覧」中毒など、個別化することができる。


●「HP更新中毒」タイプ
自身のHPを開設している人に限られる。見る人や目的に対していかに充実したHPを作るかということよりも、いかに自己を満足させられるかという点に傾いていく人が多い。自己陶酔に陥りやすく、ほとんど誰にも見てもらえていないにも関わらず、世界中の誰もが自分を気にしていて、また、常にほめられているような気持ち・優越感を抱きやすい。初期症状として、頻繁すぎる日記の更新、カウンターの増加速度を異常に気にすることなどが挙げられる。掲示板を訪れる人々との交流に重点を置き、ひとりでも多くの新しい書き込みが入らないか気になって仕方がない。大抵の場合、カウンターが思い通りに上がらないとか、掲示板に何カ月も書き込みが入らないことによって自然治癒する。

●「メール中毒」タイプ
掲示板を気にしたり、書き込みを続ける状態と似ているが、見過ごすことができないのが、この「メール中毒」タイプである。メール友達の多さが、まるで、自分の本当の友達の多さだと勘違いしてしまうことに大きな問題がある。一晩中、返事を書くことに明け暮れ、また、その返事に対する返事がどんなものか、いつ戻ってくるか気になって仕方がない。旅行にも行けず、パソコンの前を離れることに恐怖を抱く。よって、モバイルを所持していることが多い。メル友との交流を重んじるあまり、実生活での友人を失ってしまうタイプ。いざとなったときに本当に大切な友人を失い、孤立の危険大。

●「オンラインゲーム中毒」タイプ
自宅では一人きりでやることが多かったゲームも、コンピュータ相手ではなく、数人で遊べばもっとおもしろいはず。麻雀・将棋・オセロなどの基本的な対戦ものに加え、見ず知らずの人たちとチームを組んで楽しめてしまうロールプレイング・ゲーム(RPG)など、各種オンラインゲームにハマってしまったタイプ。遊んでいるのだから、時間などあっという間に経ってしまう。気がつけば常連となっていることが多い。勝ち負けよりも、負けたらまた次のゲームを始めればいいと思っていて、リセットすれば何とかなると思ってしまう傾向がある。人生にリセットは通用しない。


自分を見失わない客観性が大事

 では、ネットアディクションの温床ともいえる24時間接続が普及し、「底なしの酒樽」を目の前に据えられたとき、どう対処すればよいのか。
 自身がインターネットを利用する本来の目的は、何だったのか、思い出してみてほしい。また、インターネットは、「道具」のひとつでしかないということを、忘れないで欲しい。視野を広く持ち、自分を見失わない客観性をもって、あくまで「便利だから活用する」ことが大事だ。
 アルコールも、「酒は百薬の長」といわれるように、摂取の際にじゅうぶん配慮があれば、決して「アル中」にまで堕ちることはない。
 ネットへの依存、ネットアディクションは、使い手の認識ひとつで、良薬にも悪薬にもなると心しておきたい。

 寂しさや、自己満足を、ネットに求めて何になるというのか。生きるということは−−−そんなに簡単ではないはずだ。どんなにあがいたところで、生身の身体と、心と、一生つき合っていかなければならない。コンピューターも、インターネットも、その先にある見えない相手との交流も、最後の最後に、生身の、生きている自分を助けてはくれないだろう。加減、度合いの判断を誤らないように、常に自分に問いかけておくこと。そうすれば、ネットアディクションという名の病魔に冒されることは、きっと、避けられる。


参考文献:「依存症 35人の物語」(中央法規/なだいなだ、吉岡隆、徳永雅子編)



(Text by editor in chief Macky 2001.8.20)





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